一時、私は本気で英語を習得しようと試みた。短大時代、英文科に在籍していたにも関わらずロクに話せないだなんて、イケてない。かっこ悪過ぎる。沢山のお金を払って入学させてくれた両親にも何だか申し訳が立たない。
何度か試みた。毎日これを読めば1年後にはペラペラ!とか、今まで挫折したあなたでもこれなら絶対出来る!的なものまで一応買ってはみたものの・・。はい。続きませんでした。でもね、私は絶対にこの人生で話せるようになってみせる。絶対話せるようになる確信はある。これまではまだその時期ではなかっただけだ。きっと。
この感じは、特に言い訳でもなく、何となく、でも確信的にそう感じている。今の自分、そして、これから先の私になら絶対にできると感じるのだ。理由は漠然としているが、おそらく右脳と左脳のバランスのとり方が上手になってきたからだろう。脳の柔軟さが確かに増した、と日々の生活の中で痛切に感じているから。
子供は英語を覚えやすい。それは、やはり脳力が柔軟だからだろう。先入観を持たないので、おそらく水のように身体に沁み入るのだ。ただ、子供の脳は左脳と右脳のバランスなんてとれていないのだろうが、それはやはり固定概念がない、という最強の性質が勝るから、か。
とにかく私は、英語を話せるようになる。絶対に。
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Tags:読書の趣味と同じくらいに、私は、写メで写真を撮るのが好き。といっても、写メ搭載携帯にしたのは今年に入ってようやく。それまでは、同じ携帯電話を丸11年使っていた。カラーでも無く、今ではまずみられない型のその携帯は、よく周りのネタにされたものだ。
カラー携帯(!?)になってからも、私の、携帯機能のコストパフォーマンスの低さは変わっていない。メール、電話、そして、新たに搭載された写メ機能のみで充分回っている。しかも、電話なんてもうここ半年位、全く使用していないかも。携帯は持参しているが、もう、自分のため、というよりはむしろ、他人の便利のため、といった感じだ。
さて、今日は写メについて話したいんだった。私の携帯電話のデータは、ほぼ9割自然の写真で埋められている。自然とそうなった。(シャレではない)何て言うのだろう。懸命に、そして清らかに、堂々と生き抜いている自然を眺めていると、どうにもたまらなくなるのよね。ふとカフェで、とか、眠る前、だとかに、そっと自然の息吹を全身に浴びたくなるから、そのためにも私は自然の景色を写メに収めている。
今の写メって、きれいに写るから、本当に驚く。光だとかの調整機能は今だに使ったことはないが、そんなものを使った日には、さらにすごい事になるのだろうね。でも、そのままの色の感じが私は好きだから、たぶん、これからもシンプルにシャッターを切るのみで自然の写メを撮り続けるだろう。私の、密かな、でも大切な時間。
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Tags:私は、これまでの人生、少しばかり考え過ぎて生きていたのかもしれない。周りにはよく言われた。疲れない?と。いつも姿勢を正し、たぶん「ちゃんと」生きてきたであろう私。幼い頃、母親は、「どうやったらこんなお行儀のイイ子に育つの?」そんな言葉をよく言われていたらしい。こんな時の返しは決まって「何も言ってないのよ」だったようで。この事と考え過ぎて生きてきた事はつながるのか分からないが、まぁ真面目に規則正しく生きてきて、物事に対してもいちいち真面目に向き合って考えてきた、という事だろう。
一つ一つの事を適当に出来ない。というより、その瞬間の感情と向き合わずには居られない。こんな自分の性格は、正直決して嫌いではない。だからこそ、それなりに繊細な感性(自分で言っている)を失わずに生きてきたと思うし。でも、やっぱりこの生き方となると人生ラクではなくて、これまで何度も壁にぶち当たってきた。上手くやれば避けて通れるだろう道を、敢えて通って生きてきた感じだ。これは、当時は気付いていなくて、振り返ってみて初めて分かることなのだけれど。
たぶん、思うに、「どうしてこうなったのだろう」の方面に自分をいつも追い込み過ぎていたのかも。考え過ぎないで生きる、それは、いつもありのままを受け入れながらも、全てのことを「ただの経験の一つ」とし、人生を邁進していける生き方のことなのかもしれない。
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